社会人になってから、奨学金の返済に苦しんでいる人はいませんか。
私もその1人です。
日本では奨学金と聞くと、一番に思いつくのは、日本学生支援機構の奨学金です。
「奨学金」という名前がついていますが、これは嘘で、日本学生支援機構の奨学金は「学生ローン」です。
2004年、小泉政権下で、奨学金事業は金融事業に位置付けられるようになりました。
お金がなくて勉強のできない子ども達にお金を貸して、学校を卒業したら利息を支払わせる、金貸し事業になったわけです。
3か月奨学金の返済を滞納すればブラックリストに載り、クレジットカードやローンの審査が通りづらくなるという、返済の担保手段まで取られています。
お金がなくて勉強できない子どもたちに金を貸し、なんとしても返済をさせる、これが日本の奨学金制度です。
日本の奨学金制度が金貸しであることを背景に、日本の奨学金は給付制にすべきである、という意見があります。
これに対して、借りた金は返せ、という論調がネット上で見られます。
この議論、噛み合っていないことはわかりますか?
給付制にすべきだという意見
奨学金を、金貸し事業ではなく、返済義務のない給付制にすべきだという意見です。
国家は、お金がなくて勉強を断念しなければならない子どもに対しても教育の機会を与えるべきである、と主張している点では、
国民はみなその能力に応じて教育の機会を得ることができるという実質的平等を目指したものともいえます。
お金のある家庭に生まれた子どもだけではなく、そうでない子どもでも教育を受けられるようにすることは、
国家の教育事業であって、金融事業ではない。
奨学金の名の下で、金貸しをするのはおかしい、という土台があります。
借りた金を返せという意見
この意見は、奨学金が金貸し事業であるという前提の上で、「借りた金を返せ」という意見です。
日本には教育を各家庭の責任と捉える風潮あるようで、お金のない家庭に生まれた子を教育するのはその家庭の責任であり、
国家の責任ではない、と考えています。
お金のない家庭に生まれたけれども勉強をしたいなら、国家に頼らずに金を借りなさい、そして返しなさい、という意見です。
この意見は、奨学金は金貸し事業であってよい、という土台の上に成り立っています。
両者は議論の前提が異なる
以上見てきたとおり、
奨学金を給付制にすべきだという意見は、奨学金を金貸し事業とするのはおかしい、という前提に立っています。
これに対する反論は、奨学金は金貸し事業で構わない、という前提に立っています。
この2つの意見は、議論の前提が異なるため、噛み合わないわけです。
もし奨学金を給付制にすべきだという意見に対して正しく反論するならば、
奨学金は金貸し事業で構わない、と反論すべきです。
「借りた金を返せ」というのは反論として成り立っていません。
まとめ
・奨学金を金貸し事業にするのはおかしい、という主張がある
・安直に「借りた金を返せ」というのは、反論として成り立っていない
・国家として奨学金を金融事業と位置付けるのが正しいのか、教育事業と位置付けるのが正しいのかを考えるべきだ
奨学金を給付制にすべきだ、という意見は、奨学金を金貸し事業とするのはおかしい、という主張です。
国家として子どもを教育することは教育事業であり、国力の維持・向上にとって必要不可欠なものです。
それにも関わらず、お金がなくて勉強できない子どもに金を貸し付けて、後で返させようというのはいかがなものか。
これに対して、安直に「借りた金を返せ」というのは、議論の前提が誤っていて、反論として成り立っていません。
このような反論をする人は、親のすねをかじって学校を卒業することが許された、お金のある家に生まれた人が多いからか、
給付制にすべきだと主張する人の反感を買っていることでしょう。
そもそも日本学生支援機構の奨学金は独立行政法人が担当しており、国家の制度です。
国家の制度である以上は、国力を維持・発展させるうえで、
奨学金を金融事業として行うことが適切か、教育事業として行うことが適切か
を議論すべきでしょう。
お金のない子どもに金を貸し付けることが、国のためになりますか?
お金のない子どもにも教育を受ける機会を与えることが、国のためになりますか?
奨学金制度をめぐる議論の本質は、ここにあるのではないでしょうか。
本郷 春都(@hongo_haruto)
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